戦争をとめよう!8.6ヒロシマ大行動 いつ:2004年8月6日(金) どこで:広島県立総合体育館(広島市) 呼びかけ:ヒロシマ大行動実行委員会 リポーター: R.M.さん (千葉県連絡会) | |
今年はどうにか休みを取って、被爆59周年の「8・6ヒロシマ大行動」に参加することができました。私にとっては2002年につづいて、2回目の参加になります。 おりしも8月6日というこの日に、広教組関連のホテルが銃撃されて、玄関ガラスが粉々に破壊されるという事件が発生したことを現地で知り、これもまさに「戦時下」の様相を反映したものと言えます。 「歴史を直視することの大切さ」を訴えた中国重慶大爆撃の被害者・研究者、「第五福竜丸事件を忘れてはいけない」と大石又七さん、「今着けている腕章は飾りじゃない。労働者の団結で戦争に反対するシンボルだ」と力をこめる村中哲也さん、「ゆーとーり(言う通り)教育」「忠孝一貫教育」をコントで痛烈に皮肉った広教組のみなさん、「11・6教育基本法改悪反対全国集会」への結集を呼びかける大内裕和さん、「護憲の統一候補」として広島選挙区で参院選を闘い、平和勢力の共闘を訴える岡本三夫さん・・・。 この他にも、それぞれの立場から平和をつくり出すためのアピールが続き、原爆被災による「被害者意識」を克服して「真の平和」を目指す「ヒロシマ大行動」の意義を、改めて感じたところです。 若者たちの元気いいアピールで集会を締めくくり、意気揚々とデモ行進に出発です。広島のメインストリートとなる電車通りや商店街のアーケードを通り、「NO WAR!」「ヒロシマ・ナガサキ繰り返すな!」と訴えて歩きました。 県庁前にさしかかったところでは、「日の丸・君が代」強制のさきがけとなった広島県教委に、みんなで怒りの声を浴びせてきました。 解散地点の平和公園では、栗原君子さんのまとめの発言で反戦平和運動の一層の強化を確認し、「団結ガンバロー」の三唱で締めくくりました。 *当日の写真リポートはこちら | |
街頭宣伝行動 いつ:2004年8月22日(日) どこで:千葉県N市 呼びかけ:とめよう戦争への道!百万人署名運動 千葉県連絡会 リポーター: T.M.さん | |
この間の8月の街頭行動は,8日,14日と行い,この日が3回目の行動で,この日は月一の県下の連絡会の合同街宣の日。 地域の各連絡会から7人が集まりました。MさんとHさんが交替でマイクを握り,ビラを配付しながら署名を訴えました。 8月13日の沖縄国際大学の米軍ヘリの墜落事故やトランスフォーメーションについて強調して訴えていきました。誰かのところでたいていは立ち止まっていると言う状況で,反応は悪くはないという感じでした。若い人達を中心にやってくれ,イラク派兵の撤退を求める署名は全体で100筆余り集まりました。合わせて教育署名も取り組みました。 | |
街頭宣伝行動 いつ:2004年8月29日(日) どこで:千葉市中央区 呼びかけ:とめよう戦争への道!百万人署名運動 千葉県連絡会 (ちば・いちはら連絡会) リポーター: T.M.さん | |
台風16号の影響で朝から雨模様で,昼過ぎには大雨に見舞われた。甚大な被害をもたらす一方で恵みの雨でもあるはずですが,この雨で稲刈りも先に延ばさざるを得ず,我が家にとっても全くの邪魔雨です。ついこないだまでは雨が降らなくて困っていたものを,何もこんな時に降らなくてもいいものを,と恨めしくなります。 今日は百万の通信の発送があり,Uさんは体調が悪くて来られない様子で,Mさんは旅行中で,しかもこんな雨の中,一体何人集まるのかの思っていたら,時間になっても他にだれも現れず,一人で始めることになりました。 そのうちに小降りになり,時折雨もあがり,始めると6筆程がすぐに集まるという状況でいい出だしでした。その後はチラシはまあまあの感じで受け取ってもらえるのですが,署名の方はなかなか集まらなくなりました。 1時間ほどやって休憩を入れ,またやり始めているとRさんが登場。東京都美術館で行われている,「写真展 一枚の写真が国家を動かす−DAYSJAPANの国際フォトジャーナリストたち」に行ってきたという。豊田直巳さんや桃井さん達が丁度来ていて写真の説明をしてくれ,貴重な話を聞くことが出来てラッキーだったそうです。結局この日の署名は二人の行動でした。 二人でやると反応もまたよくなってきて,2時間で30筆弱集まりました。ビラは200枚弱を配付することが出来ました。 |
有事法制反対! イラク占領反対! |